裁量があるから
自分を成長させてくれる

産業振興センター 
第1事業系
金田 翔吾
(Shogo Kaneda)

社会人8年目。JMAに入職して3年目。一通りの仕事の進め方や人間関係の築き方を身に付け、そしていくつかの失敗も経験。
ちょうど脂が乗ってきた頃だろう。約8年、日本と海外をつなぐ仕事に携わった経験を武器に、今FOODEX JAPANという世界90カ国・地域を股にかける大舞台で、何に挑もうとしているのか――。

エンジニアリングを学ぶも、社会そのものに惹かれる

学生だったときの専攻は、建設や都市のシステム工学で、都市計画や都市開発といったことを学んできました。工学なのでエンジニアリングが中心になりますが、私が興味をもったのは、都市そのもの。さまざまな都市の歴史や文化、どんな人が住んでいて何が好きで、でもその背景にどんな問題があるのか、つまり社会そのものに興味があることに気づいたんです。

そこで卒業後はエンジニアの道には進まず、MICE(※)関係のビジネスを行う企業に入りました。日本には海外から多くのエグゼクティブが訪れます。そうした方々に向け、ビジネスミーティングや企業視察などをアレンジするのが自分の仕事。訪日が有意義であったかどうかは自分のアレンジ力によるところが大きく、プレッシャーもありましたが、色々な国・地域のビジネスパーソンと接するのは非常に貴重な経験となりました。

そこでもう少し深く海外とのビジネスに携わりたいと転職。そこでは、日本の企業や団体が主催する企業イベントや国際会議・展示会など、様々なビジネスイベントを海外へ誘致する仕事を行っていました。

そんなとき、日本能率協会(JMA)がタイのバンコクでビジネスカンファレンスをやっていると知りました。そのカンファレンスとは、日系工場も多数あるタイで、品質や生産性を上げる工場の現場マネジメントのノウハウを発表し合い、交流する場だったのです。日本の技術力や改善活動などのノウハウは絶対にタイでも役に立つと思っていたので、そういうことをやっているJMAってどんな団体? と俄然興味がわきました。

その後、タイでのビジネスマッチングを模索していたJMAの職員(実は、入職後最初の上司になったんですが・・・・・・)とのご縁があり、1週間ほど現地視察やミーティングでご一緒しました。そのときに、彼からJMAが東南アジアで何を実現したいか、東南アジアでどんな価値を生み出せるか、想いをたくさん聞きました。そんな話を聞いているうち、すでにあるイベントの誘致だけではなく、イベントそのものをつくってみたい、そんな気持ちになっていったのです。

その後しばらくして、JMAが職員募集をしていると聞き、ぜひ、海外で日本の技術やノウハウを活かすイベントをつくりたいと積極アピールして、入職しました。

エンジニアリングを学ぶも、社会そのものに惹かれる

合言葉は
「どんどんやってみな」

入職後は、研修期間を経て、希望どおり産業振興センターへ配属されました。配属されたのはFOODEX JAPAN(国際食品飲料展)。その名のとおり、世界90カ国・地域から食品・飲料が集結し、海外バイヤー1万人を含む8万5,000人の業界関係者と、会期4日間にわたり商談を繰り広げるのです。もちろんJMAでも最大のプロジェクトです。

FOODEX会場風景

チーム配属後は、先輩方から仕事の進め方を教わるのですが、だいたいのことができるようになったら、あとはすぐに任せてくれました。出展営業の際の資料づくり、来場動員と商談促進のための会場内のステージ企画。1年目でこれだけやらせてくれるところはないんじゃないかと思います。ですがここでは、1年目だろうが10年目だろうが、やりたいことはどんどんやってみな、という雰囲気なんです

私自身も、お客さまから言われた色々な意見をまとめたり、世に出ているマーケティングデータをあたったり、場合によっては、自ら調査を仕掛けたりして、「こういうものが求められているのではないか」という仮説をたくさん立てるようにしました。

そして仮説ができたら、仮説で終わらせず実行する。私も1年目は、FOODEX会場内で行われているステージプログラムの中で「地方創生フォーラム」を開催しました。食を通じた地域のブランディングや、地域活性化を議論するイベントで、地域の食品メーカーさんに商品開発事例を話してもらったり、農林水産省やジェトロの方から少し俯瞰的な話をしてもらったり、といった企画を実行しました。

2年目にいよいよ、
アジアのビジネスを形に

2年目になって、FOODEXの業務に加え、いよいよタイで展示会を開催することが決まり、その立ち上げも自分の役割に加わりました。前からやりたかったので、仕事が増えることは嫌ではありませんでしたが、2つのタスクを同時進行で行うというセルフマネジメントの難しさを感じました。何が一番大切か、どのように自分の時間を配分するかを考えるようになり、今考えれば、すごく勉強になりました。

さて、タイでの展示会ですが、日本で50年近く開催しているメンテナンスの展示会をタイで展開しようというミッションです。経済成長の著しい東南アジア地域では、今化学プラントやインフラのメンテナンスが大きな課題になっているのです。日本ではかなり前からメンテナンスは重要な課題になっていて、技術やノウハウは蓄積されています。あとは、その高い技術力を背景に、現地のニーズに合う製品やサービスをキチンと提供できれば、現地の産業や社会の課題は解決でき、人びとの生活にもすごく役に立てるのではないか、こういう想いをチームで共有しました。

実行にあたっては、やはり現地にパートナーが必要です。この辺は私の前職の経験が大変役に立ちました。会場手配、告知、出展促進、来場動員、こうしたプロセスが日本で行う展示会と一つひとつ違うんです。

もう1つ大事なことは、現地の影響力のある政府機関や団体と手を組むこと。今回は、タイ工業省、タイ運輸省、またタイ最高学府の一つであるチュラロンコン大学に共催・協力いただけることになりました。昨年11月に行った開催発表会は、当日はタイ現地から製造業や建設関係の分野を中心に、30社の業界メディアや日本・タイ政府関係者総勢50名が参加するという大々的なものになりました。

会期を前にして、少しゴールが見えてきたような気がします。

2年目にいよいよ、アジアのビジネスを形に

助けられたからこそ、
助けられる

3年目の今年から、FOODEXのプロジェクトリーダーとして、海外チーム、国内チームの予算含めたプロジェクト管理も任されることになりました。気持ちの上では「株式会社FOODEX」。私がそしてチームメンバーが経営者として、あるべき姿になるまでやりきることをモットーに、日々活動を行っています

チームのマネジメントはJMAでは初めてですが、私には力強い味方がいます。それは多種多様なマネジメントスタイルをもつ先輩方の姿。私より経験が多い先輩方と一緒にチームをつくりあげていく、そう心がけています。

3年間で3人の上司から仕事を学んできましたが、思い返せば、皆スタイルは違っていました。1年目はとにかく「やってみな」。やってみて、うまくいかないことがでてきて相談する、そして助けられる、そんな感じ。2年目は、「今やることはすぐやる」。この課題を解決するために、まず打つ手は何か、スピードと優先順位の付け方を学びました。そして3年目は、計画を立てることの重要さ。展示会は1年に1回の長期戦。常に先を読んで計画に落とし込む。

商談風景

上司のスタイルはさまざまですが、共通して言えることは、この3年間、どんなときも困ったときは助けてもらったということ。だから、マネジメントする立場になって、今度は自分が助ける番だと思っています。メンバーの仕事のスタイル、ペース、性格も違うので、伝え方、話し方を工夫しています。

これからFOODEXの会期に向け、出展促進、新企画、来場動員と、やるべきことは山のようにあります。仕事を進める上では、「つながり」を大事にしていきたい。チームメンバーもそうだし、他部門の同僚たちもそう。それ以上に、FOODEXを共に盛り上げようとしてくれる社外の関係者の方々、企画委員の方だったり、出展者の方だったり、代理店の方だったり、そうした方との連携をより高めていきたいと思っています。

FOODEX事務局集合写真

プライベートでは、今は仕事が中心になっていますが、映画を見るのが最近のお気に入り。出張で飛行機に乗ることも多いので、映画で一息つくのもいいですね(笑)。自分は仕事が大好きなので、プライベートも仕事の延長にある感じです。社内に同い年メンバーが多いこともあり、よく飲みにいったりしています。

(※) MICEとは、Meeting(会議・研修・セミナー)、Incentive tour(報奨・招待旅行)、Convention またはConference(大会・学会・国際会議)、Exhibition(展示会)の頭文字をとった造語で、ビジネストラベルの一つの形態。
取材:2019年6月

PROFILE

MICE、イベント誘致会社を経て、2017年日本能率協会に入職。産業振興センターでFOODEX JAPANを担当。昨年は、JMA初のバンコク開催展示会メンテナンス&レジリエンスアジアの立ち上げに奔走した。

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